【ふたりといた時間】第33話:知らないふりがつらい

はなとぶんの時間

はなは、今日も「元気だよ」って顔で寄ってくる。
ぶんもそのあとを追いかけてくる。
まるでいつも通りの朝が、何の変哲もなく始まっていくみたいに。

——でも、私は知っている。

はなの呼吸が、朝方に少し苦しそうになること。
寝ている時間が、前よりずっと長くなったこと。
そして、気がつくと、フローリングの床にぺたんとスフィンクス座りしていること。

『冷たいところのほうが、楽なのかな?』

そう思いながら、声には出せず、見つめることしかできない。
寄り添ってきたそのぬくもりに、私はぎゅっと胸を締めつけられる。

——がんばってるの、知ってるよ。
でも、それを知らないふりするのが、いちばんつらいんだ。

ある朝、ふと気づいた。
はなは、自分から階段を降りようとしなくなっていた。
気持ちはあるんだと思う。だって、階段の上に座って、じっと下を見ていることがあるから。

でも、もう降りられないって、はな自身が分かっているのかもしれない。

猫ツリーにも登らない。
押し入れに置いたピンク色の猫テントにも行かない。

行こうとしてジャンプに失敗した日から、はなはそれらを避けるようになった。

『できなくなったことを、ちゃんと覚えてるんだね』

そう思ったら、なんだか泣きそうになった。

以前、亜希子さんが教えてくれたことがある。

「猫には“良くなる”って概念がないの。
今の身体の状態を踏まえて、“じゃあどうしようか”って考えるの」

そのときは、「へえ、そうなんだ」くらいにしか思わなかった。
でも今、その言葉の意味が、少しずつ沁みてくる。

はなは、ちゃんと今日を生きている。

無理はしない。
飛ばない、登らない、降りない。
でも、ちゃんと食べるし、甘えるし、そして、ぶんがそばにいる。

私は、何をしてあげられるんだろう。
“できなくなったこと”を悲しむより、
“今できること”を、そっと支えるだけでいいのかもしれない。

——そう思っても、ときどき私は弱くなる。

はながスフィンクス座りで床にいると、寒くないかと心配になる。
そっと膝掛けを寄せてみたり、低い位置に猫テントを置いてみたり。
でも、はなはじっとそのまま動かず、ただ前を見つめている。

それは、強さなのか、あきらめなのか、悟りなのか——
もう私には、分からなかった。

『はな、つらくない?』

ときどき、心の中でそう聞く。
『大丈夫。大丈夫だよ』
そう返ってきそうな気がして、怖くて、それ以上聞けなかった。

はなが“がんばっている”ことを、私はちゃんと分かっている。
でも、すべてに気づいてしまったら、自分が崩れてしまいそうで——
私は知らないふりをする。

それが、いちばんつらい。

でも、はなのそばにいることだけは、絶対にやめない。
毎日点滴して、毎日声をかけて、できるだけ笑って過ごす。

“今を踏まえて、どうするか”——
それを、はなと一緒に考えていこうと思う。

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