ぶんが初めてこの家にきた日のことを、思い出していた。
押入れの奥、布団に半分うずもれるようにして、じっと身を固くしていた。
あの時のぶんは、どこか「近づいてくるな」と言いたげで——
私はただ静かに、息をひそめるしかなかった。
けれど今ならわかる。
あれは「怖いから、触らないで」っていう、ぶんの精一杯の表現だったんだ。
はなは最初から人懐っこくて、遊びたがりで、わかりやすい子だった。
だっこをしようとすると、全力でイヤがるところも含めて、
最初からちゃんと会話ができていた気がする。
だけど、ぶんは違った。
おもちゃにもなかなか反応せず、人との距離感も、空気を読むように絶妙だった。
ある日、テレビで見かけた猫をだっこしてる家族を見て、
フッと、思ったことがある。
『そういえば、はなやぶんをだっこするなんて、考えた事なかったな』って。
はながだっこ嫌いなのは、薄々気づいていた。
猫じゃらしで遊んでる時に捕まえようとしたら、ぴゅーっと跳ねて逃げて、
次は家具の影から顔だけ出して「にゃっ」って鳴いてたっけ。
だけど、ぶんは——考えたことすらなかった。
私自身、猫のだっこの仕方なんて全然知らなかったから。
どこを支えて、どうしたら安心してもらえるのかなんて、わからなかった。
そのぎこちなさがぶんに伝わったのか、
抱き上げようとするたびに、「イヤ!」とばかりに逃げられた。
そんなある日。
たしかお風呂上がりで、髪がまだ湿っていた夜のこと。
リビングの明かりを少しだけ落として、YouTubeを流しながら
ぼんやりとつめたいミネラルウォーターを飲んでいたら、
足元に、ふわりと気配がした。
ぶんだった。
ゆっくり、ゆっくりと近づいてきて、
私の膝に、そっと両手を乗せた。
そして次の瞬間、ためらいがちに、するりと膝の上に乗ってきた。
思わず息をのんだ。
ぶんが、私の膝に乗ってる。
だっこじゃない。
ただ、そっと乗ってきただけ。
私はそっと背中に手を添えて、落ちないように支えることしかできなかった。
それでも——
その夜のぶんは、安心したように目を細めて、しばらくそのままじっとしていた。
あのぬくもりは、今も忘れられない。
『ちゃんとだっこの仕方を知ってたら、もっとはやく仲良くなれたのかな』
そんな風に考えることもある。
だけどきっと、これでよかったんだ。
だっこはまだ、ちょっとこわい。
でも、嫌いじゃない。
そんなふうに、少しずつ距離を縮めていける関係も、
私にとっては、十分に愛おしい。
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