【ふたりといた時間】第9話:だっこはまだ、ちょっとこわい

短編小説

ぶんが初めてこの家にきた日のことを、思い出していた。

押入れの奥、布団に半分うずもれるようにして、じっと身を固くしていた。
あの時のぶんは、どこか「近づいてくるな」と言いたげで——
私はただ静かに、息をひそめるしかなかった。

けれど今ならわかる。
あれは「怖いから、触らないで」っていう、ぶんの精一杯の表現だったんだ。

はなは最初から人懐っこくて、遊びたがりで、わかりやすい子だった。
だっこをしようとすると、全力でイヤがるところも含めて、
最初からちゃんと会話ができていた気がする。

だけど、ぶんは違った。
おもちゃにもなかなか反応せず、人との距離感も、空気を読むように絶妙だった。

ある日、テレビで見かけた猫をだっこしてる家族を見て、
フッと、思ったことがある。

『そういえば、はなやぶんをだっこするなんて、考えた事なかったな』って。

はながだっこ嫌いなのは、薄々気づいていた。
猫じゃらしで遊んでる時に捕まえようとしたら、ぴゅーっと跳ねて逃げて、
次は家具の影から顔だけ出して「にゃっ」って鳴いてたっけ。

だけど、ぶんは——考えたことすらなかった。

私自身、猫のだっこの仕方なんて全然知らなかったから。
どこを支えて、どうしたら安心してもらえるのかなんて、わからなかった。
そのぎこちなさがぶんに伝わったのか、
抱き上げようとするたびに、「イヤ!」とばかりに逃げられた。

そんなある日。
たしかお風呂上がりで、髪がまだ湿っていた夜のこと。

リビングの明かりを少しだけ落として、YouTubeを流しながら
ぼんやりとつめたいミネラルウォーターを飲んでいたら、
足元に、ふわりと気配がした。

ぶんだった。

ゆっくり、ゆっくりと近づいてきて、
私の膝に、そっと両手を乗せた。

そして次の瞬間、ためらいがちに、するりと膝の上に乗ってきた。

思わず息をのんだ。
ぶんが、私の膝に乗ってる。

だっこじゃない。
ただ、そっと乗ってきただけ。
私はそっと背中に手を添えて、落ちないように支えることしかできなかった。

それでも——
その夜のぶんは、安心したように目を細めて、しばらくそのままじっとしていた。

あのぬくもりは、今も忘れられない。

『ちゃんとだっこの仕方を知ってたら、もっとはやく仲良くなれたのかな』

そんな風に考えることもある。
だけどきっと、これでよかったんだ。

だっこはまだ、ちょっとこわい。
でも、嫌いじゃない。

そんなふうに、少しずつ距離を縮めていける関係も、
私にとっては、十分に愛おしい。

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