お昼ごろ。
空は青く晴れていたけれど、湿気がすごかった。
空気がぬるりと肌にまとわりついてきて、思わず「暑っ…」と声が漏れる。
でも今日は、どうしても行きたかった。
無性に――西福寺の空間に、もう一度浸りたかったのだ
目的は御礼参り。
でも、きっとそれだけじゃない。
あの静けさ、あの空気に、もう一度心を沈めたかったのかもしれない。
田んぼの緑が混じる住宅街を抜けて、車を走らせた。
街の中にあるとは思えないほど空がひらけていて、虫の声も元気だった。
日曜日ということもあり、境内には年配の方が多く、思っていたよりにぎやかだった。
それでも、あの場所は――やっぱり、どこか空気が違っていた。
1857年当時の建物
境内の奥、小さな池から聞こえる水音がふっと耳に届く。
線香の香りが静かに漂い、屋根の高い本堂の中はひんやりとして心地よい。
(涼しい…)
どうしてだろう。天井が高いから?
それとも、この空間そのものが持っている静けさのせいだろうか。
そのひと呼吸が、すっと心に沁みこんでくる。
辺りを見渡すと、石川雲蝶の絵画や彫刻、そして大きな仏間が目に入る。
虎と龍が互いを睨むような彫刻は、その迫力と技巧に時代を感じさせた。
襖に描かれた絵も、どこか懐かしく、厳しく、優しく見えた。
この場所で、かつてどんな人たちが、どんな日常を送っていたのだろう。
そんなことを考えていたとき、ふと目に入った掲示の言葉。
「一日の食事は、玄米四合と、その日採れた少しの野菜で十分――」
思わず立ち止まり、読み返してしまった。
それだけで満たされていた時代。
その質素さが、今の自分にふしぎと寄り添ってきた。
一汁一菜を心がけている自分には、すとんと腑に落ちる言葉だった。
本堂の廊下を歩くとき――
広々としたその空間には、ぽつんと花が飾られていて、何もないのに、すべてが足りているように感じられた。
こういう場所に住むって、素敵かもな
※↑写真撮影しても良い時に撮ったものです。
部屋の仕切りは、たった一枚の襖。
現代では鍵付きの部屋があたりまえになっているけれど、
その開かれた構造に、不思議と安心感をおぼえた。
“信じて暮らす”ということ――それが、こういう空間には宿っている気がした。
帰り道、汗ばんだ服に風が吹き抜ける。
身体は運転疲れのせいか重たかったけれど、心は軽かった。
また来よう。
暑くても、蒸していても――
あの涼しさと静けさは、きっと、変わらずそこにあるはずだから。
アクセス
・住所:〒946-0033 新潟県魚沼市大浦174番地
・営業時間:9時00分~15時30分
・駐車場:あり
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